AFFLUENT monthly features 特集記事

“唯一無二”の存在という生き方 - 背景画師 中島盛夫

ISSUED | 2016.11

 

撮影/椿孝

“唯一無二”の存在という生き方-背景画師 中島盛夫

現在、日本にたった二人となった背景画師。
背景画師とは、銭湯のシンボル「富士山」の壁画を描くアーティスト。
日本人が忘れかけている思いやりや親切心を思い出させてくれる銭湯の富士山を、今日もどこかで描いている。

かつては人と人のふれあいや教育の場として賑わっていた「銭湯」。その件数は減少の一途を辿り、昭和43年の2,687軒をピークに平成25年時点では約700となったが今再び注目を集め始めている。その理由のひとつが銭湯に欠かせない富士山の壁の存在だ。大きな風呂に浸かり、富士山を眺めながらほっとひと息。至福のひとときを与えてくれる富士山を、52年間、今も現役で描き続けている職人のひとりが、背景画師の中島盛夫氏だ。

 福島県から上京した中島氏は町工場の職員として働いていた。昭和39年のとある日、〝背景画師〞という生涯の職業に出会う。「田舎から出てきたから、銭湯っていうものを知らなかったんだよね。はじめて銭湯で富士山の絵を見たときは、驚いたよね〜。その後、偶然見た新聞に背景画師の助手を募集する三行広告が載っていてさ。子どもの頃から好きだった絵を描くことが仕事になるし、銭湯の富士山が描けるならと、すぐに電話をして」

 そんな偶然が人生を大きく変えるきっかけになる。故・丸山喜久男の助手として背景絵師の門をくぐった中島氏。はじめの3年は足場を組んだり、空の色を塗ったり、下積みの日々が続いた。

「(師匠は)描くのが本当に早くてね。自分が空を塗っている間にはもう下の絵が描き終わっているんだから! そしたらある日、女湯描いてみろって。いやー、ビックリしたけど、やっと念願の富士山が描けると思うと嬉しかったよね」

 偉大な師匠の背中を必死に追いかけ、26歳で独立。日曜日以外は休むことなく、銭湯の富士山を描き続けた。描くのは営業前の朝8時から午後2時が勝負。限られた時間内に完成させるには、技もさることながら体力も必要だ。これまで中島氏は1万点以上を描き続けてきた。

  • 下絵も一切なく、ものすごいスピードで絵を描き上げてゆく。

  • 高さ3メートル以上にもなる銭湯絵。絵を描く作業は、まさに命がけだ。

  • 東京都で唯一有形文化財に登録されている貴重な銭湯「燕湯」(台東区上野3-14-5)。岩山は富士山の溶岩でできている。

赤、青、黄、白の4色のペンキを使い描いていく。ローラー使いは中島氏のお家芸。

PROFILE

背景画師

中島盛夫

1945年福島県相馬郡飯舘村出身。1964年に上京して間もなく、背景画師の故・丸山喜久男氏に師事。初めてローラー使いを考案し、背景画制作の時間短縮に貢献。銭湯の減少にともない背景画師が減る中、日本を代表する背景画師の一人として幅広いフィールドで活躍中。

「富士山?やっぱり好きだよね。日本一だよ」

1 2

SHARE THIS ARTICLE この記事をシェアする

RELATED ARTICLESこちらの記事もおすすめです