名古屋で「コーヒー」を語るとき、独自に育まれてきた喫茶店文化を見逃すことはできない。しかし、この地でコーヒーはどのように広まり、喫茶店文化はどのように根付いてきたのか。そして、その文化は現在、どのように受け継がれ、変化しているのだろう。
コーヒーを楽しむスタイルは年月とともに変わり、コーヒーはいま「サードウェーブ」の時代だといわれて久しい。豆の産地や品種、焙煎、抽出方法までこだわり、まるでワインのように楽しむスタイルだ。
こうした潮流は名古屋にも広がっているが、今回は名古屋のコーヒーの歩みを改めてたどりながら、その背景にある文化と、いまにつながる物語を探ってみた。
Text_D-KIKAKU.
Photographs_TOSHIYA ABE./松屋コーヒー本店(現在)
喫茶ニューポピー (店内、人物)、Q.O.L.COFFEE
一杯のコーヒーからたどる、
名古屋の喫茶店文化
名古屋でコーヒーはどのように広まり、独自の喫茶店文化へとつながっていったのか。
その歴史を紐解くため、名古屋で3代にわたりコーヒーを扱う松屋コーヒー本店の松下和義さんと、愛知の民俗や食文化を研究する中京大学の小早川道子さんに話を伺い、その歩みをたどった。
松屋コーヒー本店 取締役 会長
松下和義さん
1936年生まれ。1955年に松屋コーヒー本店に入社、1986年に3代目社長に就任。現在は会長。創業以来100年以上続く同社でコーヒーに携わり、独自の「松屋式ドリップ」の普及にも取り組む。
中京大学 文学部 歴史文化学科 准教授
小早川道子さん
専門は日本民俗学。愛知県史編さん室勤務を経て、2014年度から中京大学に勤務。年中行事や食文化、地域の民俗などを研究、喫茶店やモーニングなど、喫茶文化についてもフィールドワークを行っている。
名古屋に広まったコーヒー文化
「カラン、コロロン、カラン……」
店のドアを開けると鳴る、ドアベルの乾いた音。店内には深く煎ったコーヒーの香ばしい匂い——。昔懐かしい喫茶店の情景だ。
名古屋市やその周辺は全国的に見ても喫茶店が多いエリアとして知られているが、昭和の時代には、いわゆる「純喫茶」が、駅前はもちろん小さな街角のあちこちに見られ、喫茶店は単にコーヒーを楽しむ店としてだけでなく、人が集まる身近な場所として親しまれた。
しかし、そもそも喫茶店でコーヒーを楽しむ文化はどのように日本に、そして名古屋に普及したのだろう。まず日本のコーヒー文化を探ると、東京銀座にある「カフェーパウリスタ」の存在にたどりつく。1911(明治44)年、銀座に1号店を開業した後、全国にも店舗を展開し、1914(大正3)年には名古屋支店を中区・南大津町にオープン。名古屋に手頃な価格で本格的なコーヒーを飲ませる店ができたと、評判になったという。
こうして名古屋にも少しずつコーヒー文化は広がったが、第二次世界大戦によってその流れは一時途絶える。戦後、輸入の再開とともにコーヒーの人気は再燃し、1955(昭和30)年ごろからは高度成長も相まって喫茶店が急増した。この喫茶店が街に増えていく過程で、大きな役割を果たしたのが、喫茶店の開業も支えた、コーヒーの焙煎や卸売りを行うコーヒー業者の存在だ。
一杯の味を競った、喫茶ブームの時代
コーヒー業者の一つとして名古屋のコーヒー文化発展に寄与したのが、1909(明治42)年創業で、現在もコーヒーの卸売りや喫茶業を行う松屋コーヒー本店だ。現会長の松下和義さんが家業に入った1955年ごろは、名古屋で小規模な喫茶店が次々と開業するようになっており、自宅や所有するちょっとした土地を利用し、30席ほどの店を始める人が多かったという。
松屋コーヒーは、店の開業そのものも支え、現地に出向いてコーヒーの淹れ方を教えたほか、必要な器具や厨房用品も調達、開店準備も手伝ったという。また当時は、コーヒーなどの輸入が自由化されていなかったため、コーヒー商工組合などの業界組織を通じてコーヒーを確保する必要があり、松屋コーヒーもこうした組合に加入しコーヒー流通を支えてきた。
松下さんは当時を振り返る。
「喫茶店が増えてくると、豆をたっぷり使った、濃いコーヒーを出す店がおいしいということになり、店同士が競っていた風潮があったように思いますね。ピーナツや豆菓子を小皿に盛ったサービスを付けたのもその一環。また、ポーションタイプのコーヒーフレッシュが一般的になる以前、東京などではエバミルク(無糖練乳)が主流でしたが、名古屋では濃いコーヒーに合わせて、生クリーム(純乳脂)を使う店が多かった。生クリームはコストがかかるが、それほど、競争が激しかった訳です。こうした味の競争も、名古屋で濃いコーヒーが親しまれた一因になったのかもしれません」
また、名古屋やその周辺に喫茶店が多いことにもいくつかの要因がある。その背景の一つがこの地域の産業構造だ。
産業構造がもたらした「もう一つの場所」
愛知の民俗や食文化を研究する中京大学の小早川道子さんによると、この地域の喫茶店には会社や自宅の「もう一つの場所」としての役割があったようだ。
「ガチャマン景気(※)と呼ばれた時代以降、特に軽工業が発達していたこのエリアでは、喫茶店が仕事の打ち合わせや、客をもてなしたりする場所のようになっていたと考えられます。軽工業の事務所では、機械の音がうるさく、話がしづらい。そこで商談で会議室のように喫茶店が用いられたようですね」
また、喫茶店が主婦などの情報交換の場としても親しまれた背景には、もともとあった「飲み物を囲んで人が集まる」文化も関係しているのではと小早川さんは言う。
「尾張西部などでは、農作業の合間に野点で抹茶を飲む習慣があり、昭和30年代にはまだ残っていたと聞いています。正式な茶道というより、仕事の合間に一服し、家族や近所の人と話をする日常的な習慣でしたが、これが喫茶店文化と相性が良かったのではないかと思います」
こうして名古屋の街に根付いた喫茶店文化だが、コーヒーを取り巻く環境は、その後大きく変化、多様化した。
新しい波と、その先にあるもの
世界では、インスタントコーヒーなどによる大量消費の時代を「ファーストウェーブ」、1990年代のシアトル系カフェなどの広がりを「セカンドウェーブ」、さらに2000年代以降の新しいコーヒー文化を「サードウェーブ」と呼ぶ。日本でもこうした潮流は広がっており、名古屋では独自に育まれてきた喫茶文化と新しいコーヒー文化が共存している。
現在の名古屋では、どのようなコーヒーが楽しまれ、そこにはどんな新しい価値が生まれているのだろうか。次のページでは、現在の名古屋でさまざまなスタイルのコーヒーを提供する4店を紹介する。
※朝鮮戦争(朝鮮特需)を機にした、繊維を中心とする景気拡大。1950(昭和25)年ごろ。
コーヒー文化の昔・いま
普及
大量消費
の広がり
の流行
コーヒーの登場
スタイルの
共存
松屋コーヒー本店(CAFE LE PIN 大須店)
TEL:052-251-1601
住所:愛知県名古屋市中区大須3-30-59
交通:地下鉄名城線・鶴舞線上前津駅より徒歩約2分
営業時間:9:00〜18:30
定休日:年中無休
メニュー:ル・パンブレンド/¥530、大須珈琲¥580など
名古屋で味わう、コーヒーのいま
名古屋のコーヒーの「いま」は、どうなっているのか。
地元で愛されてきた、深煎りを受け継ぐ老舗から、スペシャルティにこだわり希少な豆の個性を追求する店まで、名古屋のコーヒーの「いま」を映す、スタイルの異なる4店を訪ねた。
鍋屋町コーヒー
旧・澤井コーヒー本店(2026年11月1日改称)
名古屋の深煎り文化を次代につなぐ
1948年に創業し、以来3代にわたり「いつもの一杯」を届けてきた自家焙煎店。コーヒーの楽しみ方が多様化する中、同店ではあえて長年愛され続ける中煎り・深煎りを軸に品ぞろえを絞り、培ってきた技術が引き出す味わいを強みに、店の個性を明確にする道を選んでいる。守るのは「老舗」という看板そのものでなく、「お客様がこの店に来る理由」だ。
2024年には、3代目への代替わりに合わせて店舗を改築し、2階にカフェスペースを新設。その場で味わう楽しみも増やし、来年1月からはモーニングなどの軽食も提供予定。この11月には、地域の旧地名を冠した「鍋屋町コーヒー」に店名を改称。培ってきた歴史を、新たな名とともに次代へつなぐ。
代表取締役
澤井泰佑さん
「知れば知るほど奥深いコーヒーですが、気軽に楽しむのが一番。好みだと思えるものに出会えればそれで十分。また、うちのコーヒーが合わなくても、それはそれで好み。私たちは、そうしたきっかけをつくる店でありたいと思っています」
TEL:052-931-4551
住所:愛知県名古屋市東区泉2-11-8
交通:地下鉄桜通線高岳駅より徒歩約6分
営業時間:火〜金曜日8:00〜19:00(土曜日・祝日は10:00〜)
定休日:日・月曜日
喫茶ニューポピー
時代が求める喫茶文化を追求
1977年に名駅で創業した旧店舗「喫茶ポピー」を受け継ぐ2代目・尾藤雅士さんが営む店。2019年、風情ある町並みの四間道に移転し、新たな歴史を歩み始めた。大切にするのは、古き良き喫茶文化の「継承」と「アップデート」。培ってきた文化に、新たな時代の魅力を加えている。
インテリアや照明など一つひとつに意匠を凝らした店内は、昔ながらの喫茶店を思わせる空間。懐かしい「鉄板イタリアンスパゲティ」など、喫茶店ならではのメニューも豊富だ。一方、コーヒーは2代目が自家焙煎を始め、スタンダードなブレンドからシングルオリジンまで幅広く提供。店のそばには、コーヒー豆の販売とともに焙煎の実演も行う「ポピー焙煎室」も構える。
支配人
加藤渉さん
「コーヒーは時代とともに、いろいろな味や楽しみ方が増えています。こうした流れを取り入れながら、昔の喫茶店のように誰もが自由に過ごせる空間も大切にしたいですね。喫茶文化として本当に価値がある大切なものは何かを考え、つなげていければと思います」
TEL:052-433-8188
住所:愛知県名古屋市西区那古野1-36-52
交通:地下鉄鶴舞線・桜通線丸の内駅より徒歩約7分
営業時間:8:00〜18:00
定休日:木・第2水曜日
Q.O.L. COFFEE本店
世界の豆と向き合い、焙煎の頂点へ
浅煎りのスペシャルティコーヒーが広がり始めて間もない2017年にオープンした、名古屋にそのスタイルを広げた店。開業当時は、浅煎りのコーヒーが一般的ではなく、まずはそのおいしさや楽しみ方を知ってもらうことから始まった。現在は、世界各地から厳選したスペシャルティコーヒーの生豆を仕入れ、それぞれの豆が持つ個性を生かして自家焙煎。代表自らが産地を訪ね、栽培や精製などの現場に触れるなど、より良い一杯を追求し続けている。また、焙煎の技術をさらに磨き「いつか焙煎で世界一を目指したい」という思いも持つ。
この冬には名駅エリアに新店舗をオープン予定。スペシャルティコーヒーを気軽に楽しめる場所が、名古屋の街にまた一つ加わる。
代表取締役社長
嶋勇也さん
「名古屋には独自の喫茶店文化がありますが、身近だからこそ、新しいコーヒー文化を受け入れてもらえる土壌があると思っています。私たちの提供するコーヒーをきっかけに、日々の生活が少し豊かになる、質が上がる、そんな楽しみ方を広げられればと思います」
TEL:052-746-9134
住所:愛知県名古屋市中区丸の内3-5-1 マジマビル1・2F
交通:地下鉄名城線名古屋城駅より徒歩約5分
営業時間:火〜金曜日 7:45〜16:30、土曜日、日・祝日 9:00〜17:30
定休日:月曜日
GLITCH COFFEE
スペシャルティコーヒーという「選択肢」を名古屋に
東京・神保町で生まれた「GLITCH COFFEE」が、名古屋に店を構えたのは2020年。出店先を選ぶ際、単に人の集まる場所ではなく、「喫茶に歴史や文化のある土地」をキーワードに候補地を探し、独自の喫茶文化が根付く名古屋を選んだ。
シングルオリジンと浅煎りを中心とするスタイルは神保町と同様で、店頭に15種類前後の豆を並べ、バリスタが好みを聞きながら提案する。オークションで買い付けた希少なロットや、コーヒー豆の精製・発酵工程で香味を付与するインフューズドコーヒーなど、スペシャルティコーヒーの広がりを感じさせる豆も扱う。さらに、2種類、3種類の豆を飲み比べられるメニューも用意されている。
NAGOYA店マネジャー
杉浦康太さん
「名古屋のオープンには、スペシャルティコーヒーという選択肢や価値を、GLITCHを通して知ってほしいという思いがありました。しかしまだ、伝えきれていない部分もあります。今後も、生産者からつながる一杯の物語を、より多くの人に届けたいと思います」
TEL:052-526-1665
住所:愛知県名古屋市中村区名駅2-42-2
交通:JR・名鉄・近鉄・地下鉄名古屋駅より徒歩約6分
営業時間:8:00〜19:00(土曜日、日・祝日9:00〜)
定休日:年中無休
※価格は全て税込、イートイン価格です

