茶道の〝見立て〞とは一線を画す、新しい〝みたて〞を提唱する陶芸家で茶人の山田翔太さん。
SNSやAIに価値観を揺さぶられ、生きづらさを抱える現代人の救いになるという
〝みたて〞とは一体どんなものなのか?その真髄を聞いた。
Text_YUKI KATORI.
Photographs_MASAKI KOZAKAI.
PROFILE

山田翔太
東京都出身。高校で陶芸と出会い独学で作陶を始める。2019年から銀座の百貨店や画廊を中心に個展を開催。遠州茶道宗家に入門して茶の湯を学び、2022年準師範「宗道」を受ける。茶盌と茶の湯を通して、美意識を共有する〝みたて茶会〞を主宰。日本のみならずフランスなどの海外でも個展や茶会を行い、日本の精神を世界に伝える活動をしている。
美意識を目覚めさせ、
心を開放する〝みたて〞
自ら作陶した茶盌を使い、茶会を主宰する山田翔太さん。この茶会に参加した人々は、皆一様に清々しい表情で家路につく。山田さんが提唱する〝みたて〞による効果だ。
「僕が茶会で行っている〝みたて〞は、いわゆる茶道の〝見立て〞とはベクトルが異なります。茶道では亭主が道具を見立て、お客さまがそれを鑑賞します。けれど僕の〝みたて〞では、見立てをするのはお客さまです。亭主である僕自身はガイドに徹し、一切見立てはしません。お客さまに僕の作った茶盌を直感で一つ選んでもらい、その茶盌が持つ世界に没入し、見えてきたものをシェアしていただきます。茶会のテーマは、『あなたにとっての美しさとは何か』です。普段、クリエイターでもない限り、自分の美意識を表現する場ってあまりないですよね。社会では常に誰かの正解や物差しに振り回されているので、〝みたて〞を通じて、『何が見えて、どう美しいと感じたか』を語ることで、自然と心が解き放たれていくんです」
〝みたて〞で築く、
争いのない調和の世界
戦国時代に千利休が礎を築いて以来、茶道は長い時間をかけて数多の流派を生み出してきた。閉塞感のある現代にフィットする革新的な〝みたて茶会〞は、〝山田流〞の誕生を予感させる。
「そういう気持ちは一切ありません。流派をつくった瞬間、僕が正解になってしまいますし、〝みたて〞を通して伝えたいのは、むしろ〝正解のない世界〞ですから。正直、〝みたて〞は茶の湯を介さなくてもできます。子どもの頃、例えば柱の木目でも、きれいな夕焼け空でも、色々なことに興味を持ちましたよね。そういうシンプルな物の見方を改めて大人に伝えるのが、僕の役目だと思っています。本来とても簡単なことのはずなのに、今は一番難しいことになっている気がするんです」
他人の評価に左右されず、自分自身の内なる感覚を大切にすべきという姿勢は、作陶にも現れている。
「一般的に陶芸の世界では、工芸展や公募展に出品して賞を取って、陶芸家として認められていくのですが、僕はそういった道を選びませんでした。人に評価されるのは、〝みたて〞の精神に反するからです。それでもこうやって陶芸家として仕事が出来ているのは、天の導きというか、運命なのだと思います。天命や宿命に繋がるルートには強風が吹いていて、その風に乗れば自然と最善の場所へ運ばれていく……。そんな確信があります。
今後は〝みたて〞をビジネスの場にも広めたいと思っています。シビアな駆け引きが予想される商談の前にみたて茶会を開くと、お互いの心に手が触れたような感覚になって、ファイティングポーズが解けるんですよ。海外でもこの思想を伝えています。国と国のリーダーが〝みたて〞で心と心を繋げれば、隣国にミサイルを落とすこともなくなるかもしれない。〝みたて〞で争いをなくして、調和の世界がつくれると、僕は本気で信じています」
Memorable Words
自分はエネルギーを通すただの管。
この肉体も茶盌も、すべてが上からの預かり物だと思っています。
茶盌を作るときは、自分は上からのエネルギーを媒介するだけの、ただの管だと思って、できるだけ自分の意志やエゴを入れないようにしています。僕の意志やエゴが入ると、〝みたて〞の時にお客さまが自分の意志を入れるスペースが無くなってしまいますから。この肉体も茶盌もすべて上からの預かり物。だから気に入らない作品だったとしても、決して壊しません。それもまた、誰かにとっては必要な、大切な預かり物なので。
作り方を一切残さないため、同じものは二つと無い山田さんの茶盌。
茶盌を手に取り眺め、茶盌が秘めた美しさをどう感じるか。自身の感性を開いていくのがみたて茶会だ。

遠州流準師範の山田さんがたてるお茶をいただけるのも、みたて茶会の楽しみだ。