左官は10年20年やってもまだまだの世界。だからこそ面白くて、いまだに取柄は壁塗りだけなんです。でも70歳になったら子どもの頃の夢を叶えるべくパティシエ修行を始めます。壁を塗りながら自分のケーキを食べたらおいしいだろうな(笑)。もちろん左官は一生やりますよ。左官という仕事を未来に残すために、もっと仕事をして、もっと見てもらいたいです。
左官は世界に誇れる日本の伝統。
この洗練された素晴らしい仕事を未来に残していきたい。
日本伝統の左官の技を世界を舞台に示し続け、ドキュメンタリー番組などにも数々取り上げられている久住有生さん。しなやかでいて妥協のない仕事への姿勢。その背景には左官という仕事へのプライドと自然環境や風土への畏敬があった。
Text_YUKI KATORI.
Photographs_KAZUO ITO.
PROFILE
久住有生(くすみなおき)
1972年、兵庫県淡路島出身。祖父の代から続く左官の家に生まれ、3歳で鏝(コテ)を握る。修業期間を経て23歳で独立。歴史的建造物の修復から民家、商業空間、個人邸まで幅広く手がける。2016年に日本国連加盟60周年記念インスタレーションをNY国連本部で発表。2023年にはG7広島サミットの会場施工を担当するなど国内外で活躍。個展では額装によるアート表現にも取組んでいる。
悠久の時を超え、自然と共存し
育まれる左官のロマン
とある都心オフィスの内装工事現場。完成間近の追い込みで雑然としたフロアで、久住さんの土壁は雄大な大地のように悠然と佇んでいた。
「先日行ったアメリカで見た景色をイメージしました。ナバホ族の暮らす大地や渓谷、そこに流れる水や風、ロックアートなど。最初からその場所にあったものって違和感がないんですよね。空も海も山も、古い建築もそう。新しいものは好き嫌いが出るけど、自然を見て気持ち悪いと感じる人は少ないじゃないですか。だから自然をモチーフにすることが多いです。人間も自然の一部だし、その方が大事にしてもらえて長持ちすると思うんです」
久住さんのもとには、文化財や伝統建築の修復・復元の依頼なども多く届くという。その現場には、過去の職人から現代の職人へ、現代の職人から未来の職人への無言のコミュニケーションがあるという。
「土壁は、表面に見えている部分はほんの一部で、ほとんどは外側からは見えない下処理なんです。だから修復工事などで壁を剥がしていくと、先人たちが良いものを残そうとした思いが伝わってくるんです。そういう仕事を見ると、自分の仕事を未来の職人はどう思うだろうかって考えたりもします。僕らの仕事は気を付けないと大量のゴミを出すことになりかねないので、長く大切に使ってもらえる仕事をしないといけないと思っています」
仕事への愛と情熱で
左官の新境地を開拓
父もまたカリスマ左官と呼ばれ、ドイツのアーヘン工科大学で教鞭をとったこともある人物だ。
「父からは手先が器用になることと、物の考え方を教育されました。子どものころから、〝学校なんかで勉強するとバカになるぞ〞って、ずっと言われてました。右へ倣えの当時の学校教育に疑問があったんだと思います。高校卒業後はパティシエの学校に行こうと思っていましたが、父から卒業前に『見てこい』と言われ、ガウディのサグラダ・ファミリアを見に行って、そこで建築と左官の魅力にやられてしまいました。左官職人にしたかった父の狙い通りですね」
やるからには日本一を目指すと決意するや、寝る間も惜しんで修行に励み、左官職人としては驚異のスピードで独立を果たした。
「自分で試したいことがたくさんあり過ぎて、時間が足りないって10代で思い、独立しちゃいました。それまではダメといわれていた左官の常識を、いろいろ試して覆したことも多くありました。例えば、一気に分厚く塗るのは収縮したりひび割れたりするのでご法度とされていましたが、それを可能にする方法を見つけたり。左官は物理と科学なんです。それに職人の技と、砂や砂利などの自然なものが加わって、思ったようになったりならなかったりするのが楽しいんです。自分で納得できたらそこがゴール。10年前の表現は今の僕にはできないし、10年前の僕は今の僕の表現はできないから、ただひたすら今一番いいと思うことをやるだけですね」
- 久住さん愛用の鏝(コテ)。全てオーダー品で所有本数は数百本に及ぶそう。
- 久住さんが手掛けた、箱根・富士屋ホテル レストラン・カスケードの大壁。風・霧・磁場などをイメージしている。
2019年のReborn-Art Festivalに出品したアート作品「淡(あわ)」。
左官株式会社
住所:東京都千代田区一番町9-10-801
電話番号:03-5544-8534