トップバトン

トップバトン VOL.7

阪和興業株式会社 代表取締役社長 古川弘成 氏

ISSUED | 2019.11

現状に満足せず、ユーザー系商社として常に成長し続けます

リレー形式で経営者をつなぐ「TOP BATON」。松竹の代表取締役社長 迫本淳一氏からバトンを受け取ったのは阪和興業の代表取締役社長古川弘成氏。1969年の入社から今年で50年。持ち前の反骨精神で生き抜いた、商社マンとしての激動の半世紀を振り返ってもらった。

PROFILE

古川弘成

1946年生まれ、奈良県出身。69年大阪市立大学経済学部卒業、阪和興業株式会社入社。96年阪和(香港)有限公司副社長兼アジア地域副支配人(中国・香港)を務め、取締役、常務取締役、専務取締役、代表取締役副社長を経て、11年に同社初の生え抜き社長として代表取締役社長に就任。現在も中国語と英語を学び、社交ダンスやギターの弾き語り、ゴルフと公私ともに忙しい毎日を送っている。

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正義感と反骨精神を培った学生時代

 国内トップクラスの独立系商社、阪和興業株式会社を率いる代表取締役社長 古川弘成氏の半世紀にわたる商社マン人生は、ダイナミックに変化する現代史とリンクして、まるでドキュメンタリードラマを見ているように刺激的だ。出身の大阪市立大学は、当時浅間山荘事件やよど号ハイジャック事件を起こした学生も在籍していたほど学生運動が激しく、古川氏もいささか時の風潮で関わったそうだ。その活動が影響して大手企業への就職は叶わず、阪和興業株式会社に入社が決まった。

「当時の阪和興業は苦労している学生を採用する傾向がありましたね。ひとり親家庭の学生だったり、成績優秀なのに家庭の事情で大学に行けない学生だったり。だから僕のような学生も受け入れてもらえた。今でもちょっと尖った人を採用する傾向はありますね。川の上流の岩石みたいに尖っていた学生が、社会に揉まれて角がとれてくると、バランスがよくなるんですよね」

阪和興業では、EV /HEVに欠かせない、リチウムイオン電池やニッケル水素電池の主原料である、ニッケル(写真左)、コバルト(同右)の取り扱いを次の柱とすべく注力しているという。

災い転じて福となす!?商社マン人生の紆余曲折

 阪和興業に入社した古川氏は、自ら希望して建材、鋼板、貿易、海外駐在……と、鉄鋼関連のあらゆる部署を経験してきた。これは当時の阪和興業では異例のことで、それまでは配属された部署で定年まで働くのが既定路線だったそうで、当然異動してしまえばそれまでの実績はゼロとなり、出世には不利。それでも、あえて茨の道を自ら選んだのは何故なのだろうか。

「ひとことで言えば自己研鑽ですね。『自分はこのままでよいのか?』という不安がいつも根底にあるんですよ。社風から考えたら茨の道だったかもしれないけれど、人間万事塞翁が馬、僕にとっては満足できる道はそれしかなかったということです。大工の棟梁が建具から左官、木工など、あらゆる工程を理解していないと、作業の指示が出せないのと同じで、経営者も会社のあらゆる部門の仕事を知っていないと、社員に指針が示せませんから。何が幸いするかわからんわね」

 そして時代はバブル期に突入。阪和興業は本業よりも財テク企業として名を馳せるようになる。しかし、古川氏の商社マンとしてのプライドと反骨精神がこれを良しとすることができなかった。「まだ部長にもなっていない私が、『それは間違っている』って反論したんですから、サラリーマンとしてはあるまじきことですよね。1993年に香港に疎開することになりましたが、それもあったのでしょうかね(笑)。でも、今では中国抜きのビジネスが語れない時代になっていますから、結果として良かったと思っています。当時は鄧小平が「南巡講話」を発表して改革開放の加速を呼び掛けたことで、華南経済圏はものすごい勢いで発展していましたから。日本と中国の経済成長期を両方経験できたことは、商社マン冥利に尽きますわね」

生え抜き社長が思う理想の会社経営

 そして2011年、古川氏は満を持して阪和興業初の生え抜き社長となった。

「阪和興業の社長は、代々創業家出身者が就いていたので、自分が社長になるなんて考えもしていませんでした。経営者になるつもりだったら、会社トップに意見を申したりしませんしね(笑)。

 創業家社長と非創業家出身の社長には、それぞれ良し悪しがあります。創業家社長はリスクのある決断ができる反面、失敗のリスクも大きい。非創業家出身社長は、ガバナンスはしっかりしているけれど、チャレンジングな投資がしにくい。日本が中国や韓国に一部の主要産業を奪われたのは、そういうことが一つの原因だったと思っています。だから僕は創業家社長のスピード感でアクセルを踏みつつ、非創業家出身社長のガバナンスというブレーキも踏む。両方の良さを取り入れた経営をしています」

未来を生き抜く力、バックキャストとは?

「これまでの経験から思うのは、喜びと悲しみは表裏一体。振り返ればすべてがつながっているということです。今の辛さは次の喜びにつながる。だから企業経営も次を想定して手を打つことが大事だと思っています。時代の先を想定して今に反映する『バックキャスト』です。みんな今の状態から未来を『フォーキャスト』しますけど、僕の経営は『バックキャスト』。社長の役割は現状に満足せずに、次の手を打つためのヒントを『バックキャスト』して、次の代に継ぐことだと思っています。今想定している未来については、すべて手を打ったので、次の社長は楽なはずですよ。言い過ぎかな(笑)」

 古川氏はバックキャストした経営方針をキャッチフレーズにして、社員一同の指針としているという。社長就任後、まず設定したのが『共鳴型経営』と『ユーザー系商社』というキャッチフレーズだったそうだ。

「メーカーや流通などの業界再編成を見込んで、中堅・中小の企業のお客様比率を高めていく必要がありました。そしてお客様のニーズに応えるために、すべての価値観をユーザーの満足度に置き、互いに共鳴して信頼関係を築いていこうという思いを込めたキャッチフレーズです。また、中堅・中小企業の取引における、即納(そ)・小口(こ)・加工(か)を可能にする、『そこか戦略』や、当社の経営に必要な機能を持った会社を買収や資本参加などでグループ化して共生していこうという『M&AプラスA』も推進してきました。プラスAの『A』は、ALLIANCE(提携)の『A』です。おおよそ36社を買収し、今後更に増やしていく予定です」

 人口減少に伴う日本経済の縮小や、EV時代の到来といった、未来からの『バックキャスト』も準備中だという。商社マン古川氏がさまざまな経験から身につけてきた柔軟な発想力と強力なリーダーシップは、これからも阪和興業に明るい未来をもたらすはずだ。

OUR WORD

節から芽がでる
――古川弘成

節から芽がでて大きく成長していく木のように、人生の節目を乗り越えて人は成長していく。これまでの人生を振り返ると、節目はつらくて困難なことばかりでしたが、あれがあったから今の自分があると実感しています。

 

阪和興業株式会社

1946年生まれ、奈良県出身。69年大阪市立大学経済学部卒業、阪和興業株式会社入社。96年阪和(香港)有限公司副社長兼アジア地域副支配人(中国・香港)を務め、取締役、常務取締役、専務取締役、代表取締役副社長を経て、11年に同社初の生え抜き社長として代表取締役社長に就任。現在も中国語と英語を学び、社交ダンスやギターの弾き語り、ゴルフと公私ともに忙しい毎日を送っている。



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