TOP MAGAZINE特集 150年の歴史が磨いた日光金谷ホテルの魅力

150年の歴史が磨いた日光金谷ホテルの魅力

1873年に創業、今年6月で創業150周年を迎える日光金谷ホテル。
「現存する日本最古のクラシックホテル」という肩書きにふさわしい、華やかな歴史と風格を兼ね備えたホテルだ。
節目の年、その歴史を紐解き、改めてその魅力を探ってみたい。

Photographs_HISHO HAMAGAMI.

全ては「もてなし」の心から始まった
時代と共に成長し築かれた金谷ホテルというステイタス

全ては「もてなし」の心から始まった 時代と共に成長し築かれた金谷ホテルというステイタスチャールズ・リンドバーグ(右)。1931年に夫人(右から3人目)とともに
写真:金谷ホテル株式会社

長期バケーションやリゾートという概念、ましてや洋食という慣習すらなかった時代に、外国人向けの宿泊所として産声を上げた日光金谷ホテル。
その歴史の端々に、現在まで脈々と流れる「もてなし」の源流を見る。

偏見を捨て、手を差し伸べた若き日本人のもてなしの精神

自然豊かなリゾート地として知られる栃木県日光市。二荒山神社、日光東照宮など世界遺産に登録された歴史遺構を有するこの地で、150年にわたり歴史を刻み続ける日本最古のクラシックホテルが、日光金谷ホテルだ。その歴史は明治時代にまで遡る。創業家である金谷家は、元々東照宮の雅楽師として「笙」を奏でることを生業としていたが、9代目当主金谷善一郎がヘボン式ローマ字の考案者として知られるJ・C・へボン博士と出会ったことで、金谷ホテルの歴史が動き出す。

日光金谷ホテルの創業者 金谷善一郎。金谷家の9代目にあたり、14歳で家督を継いだ 写真:金谷ホテル株式会社日光金谷ホテルの創業者金谷善一郎。金谷家の9代目にあたり、14歳で家督を継いだ
写真:金谷ホテル株式会社

明治維新の熱冷めやらぬ1870年、日光への旅行を考えていたヘボン博士は、「外国人お断り」の風潮によって宿泊先探しに苦戦をしていた。それを知った当時十八歳の善一郎が、その窮状を見かねて自宅に招く。しかし、外国人に対する“免疫”がまだ無かった当時、その行為は周囲の人々からの反感を買ってしまうことに。だがこの善一郎の行動が運命の出会いとなる。

善一郎の心尽くしの「もてなし」に触れたヘボン博士は、「これから日光には外国人観光客が大勢やってくる。その人たちのために宿屋を営んではどうか」と、避暑に訪れる西洋人のために部屋を貸すことを勧める。この言葉におされ、1873年、善一郎は自宅の一部を「金谷カテッジ・イン」として宿泊サービスを開始。武家屋敷の様式を残したこの宿は「サムライ・ハウス」と呼ばれ、外国人からの評判を得ていく。イギリス人紀行作家イザベラ・バードもヘボン博士の紹介でこの地に滞在。その時のことを著書「日本奥地紀行」で紹介したことで、日本を代表する避暑地日光の宿として、その名は海外にも知れ渡っていったという。

「金谷カテッジ・イン」はその後益々盛況となり1887年に建物を増築。1889年には東照宮を辞し、善一郎は宿業に専念し始める。1891年には食堂を新築して料理の提供を開始し、本格的なホテルの体を成していくのである。

金谷ホテルの元となった「金谷カテッジ・イン」。現在は歴史館として公開されている写真: 金谷ホテル歴史館
金谷ホテルの元となった「金谷カテッジ・イン」。現在は歴史館として公開されている
写真: 金谷ホテル歴史館

客の利便性を第一に考え自前の設備を次々に拡充

その後も滞在客は増え続け、1893年に建築途中で放置されていた建物を買い取り、現在の地に純洋式の「金谷ホテル」を開業する。善一郎は宿泊客がいかに快適に滞在できるかを常に考え、自家用水力発電所や外国製洗濯機を取り入れた洗濯場、ボイラーによる給湯と暖房設備、そして栃木県で最初の電話にも加入するなど、設備を充実させていく(現在の代表番号の下4桁が「0001」なのは、当時の名残なのだそうだ)。そして、明治末期には世界各国から多くの貴賓客を迎えるまでになっていく。

1917年に隠居した善一郎に代わり、長男の眞一がホテルを取り仕切るようになると、日光の冬の寒さを利用したスケートリンクの設置や、植物を育てる温室の設置など、より心地よく滞在ができる環境づくりが進められた。1926年には外国人客向けの食事に欠かせなかった新鮮なミルクを常備するべく、直営の畜産部を設置。ホテル施設内に牛舎と簡易処理場を据えて、牛乳やバター、野菜類の自給体制も敷いた。1935年に別館を新築、さらに1940年には、日光観光ホテル(現中禅寺金谷ホテル)を竣工し、これをもって現在の金谷ホテルの基礎がほぼ完成する。

戦前当時の客室。ユニットバスを備えるなど外国人向けらしい純洋式の設えだった写真:金谷ホテル株式会社
戦前当時の客室。ユニットバスを備えるなど外国人向けらしい純洋式の設えだった
写真:金谷ホテル株式会社
戦後接収中の本館メインダイニングルーム。兵士の休養用ホテルとして使用された写真:金谷ホテル株式会社
戦後接収中の本館メインダイニングルーム。兵士の休養用ホテルとして使用された
写真:金谷ホテル株式会社
  • 1940年に外国人受け入れの国策ホテルとして開業した日光観光ホテル(現中禅寺金谷ホテル)。写真:金谷ホテル株式会社1940年に外国人受け入れの国策ホテルとして開業した日光観光ホテル(現中禅寺金谷ホテル)。
    写真:金谷ホテル株式会社
  • 1935年に落成した別館。木造3階建で24の客室が用意された写真:金谷ホテル株式会社1935年に落成した別館。木造3階建で24の客室が用意された
    写真:金谷ホテル株式会社

戦時中の経営苦、接収を経て新たな時代に歩みを進める

明治初期から着実に発展を続けた金谷ホテルだが、太平洋戦争の時代に入ると外国人向けということで軍部から厳しい監視の目が向けられるようになる。従業員の軍への召集、電気兵器の研究施設や女子挺身隊の宿舎、学習院初等科の学童疎開場所として利用され、終戦後には米軍将校のスペシャルサービスホテルとして接収されることになる。接収は日光金谷ホテルで7年、日光観光ホテルは12年にも及び、独自の経営ができない苦難の時代となった。

その後接収が解除され高度経済成長期に入ると、1964年のオリンピックに向けて第二新館を新築し、各国の元首や文化人などの訪日に対応した。また、この頃になると日本人観光客の利用も増え、それに合わせて料理やサービス内容も変化させていく。

明治から令和まで、大きく変化する時代の中で日光金谷ホテルが変わらずに受け継いできたもの。それは見ず知らずの外国人に手を差し伸べた、創業者金谷善一郎の「もてなし」の精神だ。150年という時間に磨かれたその精神は、今も世界中の賓客に愛されているのである。

明治24年から残る宿帳には、アインシュタイン、ヘレン・ケラー、ガンジー、湯川秀樹、吉田茂など、歴史に名を残す偉人たちの署名が記されている。その一部は本館1階の展示コーナーで見ることが出来る
明治24年から残る宿帳には、アインシュタイン、ヘレン・ケラー、ガンジー、湯川秀樹、
吉田茂など、歴史に名を残す偉人たちの署名が記されている。その一部は本館1階の
展示コーナーで見ることが出来る
写真:金谷ホテル株式会社

150年の時間が紡いだ最上のもてなし
金谷ホテルがみせる無二の魅力

明治、大正、昭和、平成、令和。
5つの時代を歩んできた日光金谷ホテル。
これまでの150年の歩みを未来に繋げるため、「変革」さえも内包しようとしている。
日光金谷ホテルが受け継いでいくもの、そして変えていくものとは。

卡纳亚酒店

PROFILE

PROFILE
金谷ホテル 取締役総支配人Masanori Okuma奥間 政宣

ラマダルネッサンス東京銀座東武ホテルを皮切りにコートヤードマリオット東京銀座販売促進部支配人、渋谷東武ホテル宿泊支配人、Sky Restaurant634支配人、東武ホテルレバント東京副総支配人を務め、現職就任前は東武鉄道ホテル事業戦略部へ出向しACホテル・バイ・マリオット東京銀座の開業に携わり、2021年1月より現職。

緩やかな時間が流れる白亜のクラシックホテル

「日光の表玄関」と言われる朱塗りが美しい神橋。そのすぐ横の坂を上がると、日光金谷ホテルの本館が見えてくる。本館正面の重厚な回転扉を押し進むと、まるで時間を遡ったかのような空間が広がる。ちょっとしたタイムスリップ感だ。数えきれないほどの賓客を出迎えたであろう背の高いフロントカウンター、その奥に振り子時計が印象的なロビー、客室へと続く廊下。そのどれもが穏やかな静けさをたずさえ、長い時間を経たものだけが持つ独特の雰囲気を醸し出している。

館内を歩くと、「想像の象」「三猿」「眠り猫」など、日光東照宮との縁を感じさせる彫刻が目に留まる。他にも玄関回転扉上の「三つ爪の龍」、小食堂の天井に描かれた花鳥風月、柱頭の牡丹の装飾など、美術館さながらの装飾、調度品が並ぶ。

  • 「をす」の旧仮名遣いが歴史を感じさせる回転扉
    「をす」の旧仮名遣いが歴史を感じさせる回転扉
  • 中庭を望むロビーのライティングデスク
    中庭を望むロビーのライティングデスク
外国人向けにつくられたため、高さのあるフロントカウンター
外国人向けにつくられたため、高さのあるフロントカウンター

数多くのホテル事業に携わり、ホテル運営を知り尽くした奥間政宣総支配人は、ここには他のホテルには真似のできないホスピタリティがあると話す。

「日光金谷ホテルは唯一無二のクラシックホテルと言われていますが、それは『積み重ねた歴史の重み』そのものだと思います。150年の歴史を記憶した建物や調度品、時間をかけて磨きあげられたサービス、そのどれもが日光金谷ホテルの魅力そのものなんです」

これほどの由緒あるホテルである。サービスやスタッフの接客について、さぞ厳粛なルールがあるのかと思いきや、サービスに関するマニュアルは存在しないと奥間総支配人はいう。

「150年という時間を重ねたホテルであることを念頭に、それに恥じない行動、サービスを行うこと。お客様には自分の一番大切な人だと思って接すること。従業員に伝えているのはそれだけです」

確かにどのスタッフも、自然な笑顔と適度にフレンドリーなサービスが緊張感を強いず好印象で、とても心地が良い。この距離感はマニュアルでは生まれないのだろう。創業者金谷善一郎の「もてなし」の精神を理解し実践したサービス。これが150年という時間に培われた日光金谷ホテルの特別感なのだろう。

大正3年のメニューを現代風に再構築した150周年を祝う記念ディナー
大正3年のメニューを現代風に再構築した150周年を祝う記念ディナー
  • 伝統のフレンチが供されるメインダイニング
    伝統のフレンチが供されるメインダイニング
  • 常時200種類以上のウイスキーを揃えるバー「デイサイト」
    常時200種類以上のウイスキーを揃えるバー「デイサイト」

歴史を未来につなぐための「継承」と「改革」

日光金谷ホテルは今、「継承と改革こそ進(新)化」を経営理念に掲げ、館内の一部にデジタルサイネージを導入したり、放送作家の小山薫堂氏を顧問に迎えて過去のレシピからメニューを再現した「百年ライスカレー」を提供するなど、これまでにない新たな試みに積極的に取り組んでいるという。

「我々はいつの日か、日光金谷ホテルを世界最古のホテルと言われる存在にしたいと思っています。そのためには、残すべきものは継承し、変えるべきことには変化を恐れず着手する覚悟が必要だと思っています。お客様のニーズは時代と共に変化します。歴史に胡坐をかいていてはホテルを維持出来ません。常にお客様にご満足いただける環境とサービスを考え抜き、クラシックホテルならではの変革を行う。「継承と改革」はクラシックホテルに科せられた大きなテーマであり、時に難しい判断も必要になりますが、それも金谷ホテルだからこそと思い、皆楽しんでいます」

周囲の批判を顧みず、外国人に一宿一飯を供したことから始まった150年の物語。時代に合わせた変化を受け容れながらも、創業以来の「もてなし」の心を受け継ぎ未来に歩を進める日光金谷ホテル。これからも唯一無二のホテルとして、多くの旅人を魅了し続けていくに違いない。

クラシカルな雰囲気漂うデラックスルーム
クラシカルな雰囲気漂うデラックスルーム
  • かつてのメインダイニング、小食堂の美しい天井画かつてのメインダイニング、小食堂の美しい天井画
  • 客室フロアを結ぶ螺旋階段の天窓客室フロアを結ぶ螺旋階段の天窓

日光金谷ホテル
住所:栃木県日光市上鉢石町1300
TEL: 0288-54-0001
URL:https://www.kanayahotel.co.jp/nkh/

※2023年5月9日現在の記事です。詳細はお問い合わせください。

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