TOP MAGAZINE熱視線 ー夢追い人ー 独立時計師 菊野昌宏 「時を刻む道具で物語を紡ぐ」

独立時計師 菊野昌宏
「時を刻む道具で物語を紡ぐ」

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最新のテクノロジーでは生まれない人間らしさという価値が、手作業で作る時計にはあると思っています

企業に属さず、自らの創造力と技術力だけで、世界にただ一つの時計を作りだす独立時計師。
世界的な組織であるスイスの独立時計師アカデミー(AHCI)には、現在34名のメンバーが所属する。
その組織で日本人初の会員となったのが菊野昌宏氏だ。

Photographs_HISHO HAMAGAMI.

PROFILE

菊野 昌宏
菊野 昌宏

1983年北海道深川市生まれ。2005年に4年間所属した自衛隊を除隊し、ヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学。2011年、独立時計師アカデミーに準会員として入会。2013年、正会員に昇格。現在は母校で時計作りの指導も行っている。

将来を決めかねていた青春時代
人生を変えた田中久重の和時計

その精巧な仕事から、「神の手を持つ人」とも呼ばれる独立時計師。和をモチーフにした菊野氏の機械式腕時計は、ほぼ全てが手作業で製作され、生産数は1年にわずか1、2本。価格は数百万から数千万になる。それでも世界中のコレクターが注文の順番待ちをしているという人気ぶりだ。

「20歳の時に、時計専門誌で初めて独立時計師の存在を知りました。それまで時計はメーカーが工業製品として分業で造っているものだと思っていたので、個人が手作業で一から作っていることに驚きました。すぐに自分でもやってみたいという思いに駆り立てられました」

幼少時代からおもちゃやラジオなどを分解しては組み立てる遊びが大好きだったという菊野氏。

「子どもの頃は見るもの何でも分解していました。一人で試行錯誤してそれを組み立て直すのが楽しかったんですよね。でも、世の中のプロダクトのほとんどが分業で造られていることを知って冷めちゃいました」

高校卒業後は武器整備に興味を持ち自衛隊に入隊。しかし、たまたま目にした独立時計師の存在にもの作り熱が再燃。自衛隊を辞め専門学校で時計の修理を学びながら、独学で時計作りを始める。

「当初はその難しさに何度も心が折れかけましたが、たまたま幕末明治期の技術者、田中久重が手掛けた『万年時計』という和時計の存在を知り、『江戸時代の人にこれほど精巧な時計を作れるのなら、自分にもできるはず』と気合が入りました」

そして2009年、初めて自らの手で組み上げた和時計を完成させる。幸運にもこの時計がスイスの独立時計師フィリップ・デュフォー氏の目に留まり、独立時計師アカデミーへの道が開かれるきっかけになる。そして2013年に憧れだった独立時計師の仲間入りを果たした。

時計づくりはほぼすべて手作業
写真集で制作工程を顧客と共有

菊野氏の手掛ける時計の特徴は、大半の部品まで手作業で作る点だ。その緻密さを極める作業は、他の独立時計師から「クレイジー」と評され、一目置かれるほどだという。

「手作業をするのは、第一に楽しいからです。“モノ”が何のために存在するかといえば、人を喜ばせるためですよね。金属などの資源が“喜び”に変わる。その楽しさや喜びを使う人だけではなく、作り手も感じられたら最高じゃないですか」

そんなもの作りを楽しむ菊野氏のスタイルが、一本一本の時計にストーリーを宿す。

「制作過程を写真集にして、時計と一緒にお客様にお渡ししています。その時計が生まれるストーリーを共有することで、かけがえのない存在になればと思っています」

菊野氏は現在、新作時計の試作を行っているそうだ。
「和時計の機構のひとつで、これまで腕時計に応用されたことのない、針のスピードが昼夜で変わる時計を作りたいと思っています」

作り手と使い手が等しく喜び楽しめる時計。菊野氏が紡ぎ出すその物語は、まだまだ続いていきそうだ。

 

  • これまで手掛けてきた作品のプロトモデルこれまで手掛けてきた作品のプロトモデル

  • 制作過程を紹介する写真集制作過程を紹介する写真集

最も思い入れがあるという2015年製「和時計 改」最も思い入れがあるという2015年製「和時計 改」

※2023年11月13日現在の記事です。詳細はお問い合わせください。

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